僕は、幼いときから、サッカーをはじめ、人生の大半をサッカーが占めていた。小学校は、学校から帰るとすぐに友達とサッカーやドッヂボールといった外遊びをしていた。勉強は二の次で第一に遊びであった。今思うと、この時の遊びへの熱中が本当に幸せだったと感じる。
中学は地元クラブチームでサッカーをしていた。高校ではサッカー部に所属。FWで9番だった。こう聞くと頼りのある選手のように思えるが、実際のところ、大事な場面で活躍することができなかった。今思うと、メンタル的にも身体的にもまだまだ未熟だったのだろう。
大学4年間もサッカーを続けた。
サッカーにしても、勉強にしてもどこかで「これくらいでいいや」と思っていた部分が多々あったと思う。人生を振り返り、輝かしい功績など一つもない。
そして、歳を重ねるにつれて、次第に「挑戦」の二文字が弱くなっていった。
大学時代では、何かに没頭したいと日々思っていた。大学の図書館に行って、本を読みあさってみたり、夜9時くらいから一人で家の周りを散歩して自分が本当にやりたいことは何のかを探してみたり、結局自分が本当にやりたいことはその辺に転がっているものではなかった。
何も見つけることができないまま、大学3年生となり、自分の進路について選択しなければならない時が訪れた。
友達は皆、真剣に自分の進路を考え、どこの会社に就職するべきなのか、活動していた。
一方、僕はというと、教員と一般就職の二択を考え、どちらの方向に行こうかと毎日のように考えていた。
結局周りに流されるように一般企業の就職を選び、会社説明会、自己分析などを行い、なんとか大学卒業後の会社を決めることができた。
いざ会社に就職してみると最初は充実感を感じていたが、本当に自分がやりたいことを見失ってきてしまった。
不動産の営業は火曜、水曜休みが一般的で大学の友達の多くは土日休み。
自分が出社し、休憩中にインスタグラムを開くと楽しそうに遊んでいるストーリーを眺め、自分は何をしているんだと思うことが多々あった。
20代という貴重な時間。誰が決めたのかわからない決められたレール。
「3年間は同じ会社で働かなければならない。たくさん稼いで、いい車に乗って、いい家を買って、それが幸せな人生。」
決められたレールを歩む人生を送りたくない。自分がやりたいことをやらないで死にたくない。今まで本気の挑戦はしてきたのか。自分の生き様をみて尊敬する人はいるのか。
周りに流されたくない。
僕は、新たな挑戦をする。ママちゃりで日本一周。
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